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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和30年(タ)10号 判決

原告 田中リチヤード・ダレル

被告 リウイス・エドワード・ボーイス

主文

原告と被告との間に親子関係の存在しないことを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として原告の母田中早苗は昭和二十六年(西歴一九五一年)五月三日当時アメリカ合衆国駐留海軍々人として日本に在住しておつた同国市民である被告(アメリカ合衆国ミズーリ州、ヂエリコ、スプリングスにおいて出生)と同国の横浜総領事館において婚姻をなし、同日直に横浜市中区役所にもその届出をなして爾来右両名は横須賀市西逸見町一丁目四十七番地に住所を定めて同棲し昭和二十七年一月頃より鎌倉市長谷大谷戸三百七十二番地に住所を移転したが、被告は同年三月末頃妻田中早苗に対し「昭和二十七年八月には除隊になるので一旦帰国した上再び民間人として日本に来る」と称して立ち去つたまま音信を絶ち且つ何等の仕送りもせず同人を顧みずして今日に至りその所在すら判明しないのである。

そこで、田中早苗は昭和二十九年七月九日被告に対し横浜地方裁判所に離婚の訴を起し同庁同年(タ)第五一号事件として審理せられ昭和三十年一月二十九日同裁判所より田中早苗主張のどおりの事由により同人と被告とを離婚するとの判決言渡があり該判決は同年三月十日確定した。

然るところ、これより先き田中早苗は昭和二十七年末頃からアメリカ合衆国カルホルニヤ州出身の同国駐留軍々人リチヤード、エイ、ホスターと鎌倉市長谷百二十三番地において内縁関係を結んで同棲し同人の胤を宿して昭和二十八年十一月五日同所で原告を分娩した。

けれども、原告の出生当時は前記の如く原告の母田中早苗と被告とが戸籍上婚姻の継続中であつたため事実と相違し原被告間には嫡出親子の関係があると推定せられ、原告は田中早苗と被告との嫡出子として取扱われて田中早苗の昭和三十年四月一日鎌倉市長に対する原告の出生届も日本の国籍を有しない者に関する届出として原告が前記日時場所において出生した旨届出がなされたとしてこれを受理して保存せられているのである。

以上の次第で原告は、被告とは親子の関係はなく、原告の真実の父が前記リチヤード、エイ、ホスターであることは、同人作成の原告の実父なることを確認しおる認知書(甲第二号証)によつても明白であり、事実上の身分関係からいえば原告の母親である日本人田中早苗の子として戸籍に登載せらるべきであるから不実な身分関係を真実に合致させるため、原告と被告との間に親子関係の存在しないことの確認を求めるため本訴請求に及んだと陳述した。〈立証省略〉

被告は適式な呼出を受けながら本件口頭弁論期日に出頭しない。

理由

公文書にして真正に成立したものと認める甲第三号証(戸籍謄本)原告法定代理人田中早苗本人尋問の結果を綜合すれば、原告の母田中早苗は昭和二十六年(西歴一九五一年)五月三日当時アメリカ合衆国駐留海軍々人として日本に在住しておつたアメリカ合衆国ミズーリ州出身の被告と同国の横浜総領事館において正式に婚姻をなし同日横浜市中区役所にその届出をなしたこと、爾来右田中早苗と被告は原告主張の各住所において昭和二十七年三月二十日頃まで同棲していたがその頃被告は田中早苗に対し「同年八月には除隊になるので一旦帰国した上民間人として再び日本に来る」と称して羽田飛行場より飛行機にて帰国したまま消息を絶ちその後何等の仕送りもせず今日に至るも杳としてその所在すら判明しないこと、田中早苗は昭和二十九年七月九日被告に対し横浜地方裁判所に離婚の訴を提起し同庁同年(タ)第五一号事件として審理せられ昭和三十年一月二十九日同裁判所より田中早苗の主張するとおりの実情ありとして被告が同人を悪意を以て遺棄したとの事由に基き田中早苗の被告に対する離婚請求を認容する判決の言渡があり該判決が同年三月十日確定したことを認めることができる右認定を動かすに足る何んの証拠もない。

次に、

前示甲第三号証公文書にして真正に成立したと認める甲第一号証(鎌倉市長の受理証明書)原告法定代理人田中早苗本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲第二号証証人赤池知子の証言及び原告代理人田中早苗本人尋問の結果を綜合すれば、田中早苗は戸籍上被告と婚姻継続中であつた昭和二十七年末頃からアメリカ合衆国カルホルニヤ州出身の同国駐留海軍々人リチヤード、エイ、ホスターと鎌倉市長谷百二十三番地において内縁関係を結んで同棲し同人の胤を宿して昭和二十八年十一月五日同所で原告を分娩したこと、リチヤード、エイ、ホスターは、原告を自己の子であることを確認し現在養育しており本件の落着をまち直に認知し田中早苗と原告を嫡出子とする正式婚姻を希望しおること、けれども原告は田中早苗と被告とが未だ婚姻中に懐胎せられて出生したのであるから、法律上当然被告の嫡出子たるの推定を受け田中早苗からの昭和三十年四月一日付鎌倉市長に対する原告の出生届も原告が田中早苗と被告間の嫡出子として日本の国籍を有しない者となり日本の国籍を有しない者に関する届出として前記日時場所において出生した旨届出がなされたとして受理せられ同市長においてこれを編綴保存をなしていることを認めることができ、これを覆すに足る証拠はない。

ところで、本件の嫡出親子関係の発生、嫡出の否認の許容性、否認権者否認権行使の期間並にその方法等の準拠法は法例第十七条第二十七条第三項により子の出生当時における母の夫たる被告の属した本国の法律、即ち米国ミズーリ州の法律によるべきであるところ同州の法律によれば妻が婚姻関係の存続中に受胎して生れた子は夫の嫡出子と推定せられるが、庶子に関する「女子により子を儲けた男子が、その後その女子と婚姻し、この子を自己の子と認知する場合は子はそれによつて嫡出子となる」との法規(ヴアーノン駐解付ミズーリ州法規集第四六八、〇七〇節)の解釈をめぐつて、ミズーリ州の裁判所は、法律上婚姻関係にある婦人から生れた子は、その本当の父親が自分の母親と法律上婚姻関係にある夫以外の者であつたことを証明して、その父親との親子関係について疑をさしはさむことができるという立場をとり、嫡出子はその適法な夫婦関係の所産であるという法律上の推定を、その子が、その出生届記載の父親とは別のある男が実際には本当の父親であることを立証して反駁ないし否認した事案につき「子は誰でももし自己が希望するならば、正当な証言又は証拠により、自己の母の法律上の夫が自己の父であるとの推定を覆すことができる」と判示しているので子は何時でも母の法律上の夫で父となつている者に対し嫡出の推定を争いうることが窺知せられる。

そこで、本件の場合を見るに、先に認定したように原告の母田中早苗は昭和二十七年三月二十日頃から被告に遺棄せられ爾来被告との実質的な夫婦共同生活がなく、同年末頃から他の男であるリチヤード、エイ、ホスターと関係を結んで同棲して懐胎し、未だ被告と法律上婚姻関係のあつた昭和二十八年十一月五日原告を分娩したものであるから原告が被告の嫡出子の関係にありえないことが明瞭である。元来嫡出子の推定は夫婦が同棲し共同生活を営んでいる通常の状態を予想したものであり、原告の母田中早苗と被告との間の場合の如く、たとえ形式的に婚姻関係があつても実質的な夫婦共同生活がなくして懐胎せられた子である原告に対しても母の夫である被告の嫡出子であるとの推定がなされるものでないことは勿論であり真実に反する身分関係を明かにし現在の不安定な地位を除去するため即時に確定の利益ありとして、日本国裁判所においても本件の如き嫡出親子関係不存在確認の訴が人事訴訟法上の各規定殊にその第二章の規定を類推適用して屡々判決せられており、前記ミズーリ州の法規を適用するに何等の支障を来すものでないことが明かであるから原告が被告の嫡出子であることを否認し、原告と被告との間に親子関係の存在しないことの確認を求める本訴請求は正当としてこれを認容すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石原辰次郎)

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